第7回  パネライラジオミール

ここ数年で飛躍的に知名度を上げてきたイタリアブランドのパネライ。ダイバー時計に興味のある方なら1度は耳にしたことのあるブランドでしょう。
また、最近の流行であるデカアツ(時計が大きくて分厚いこと)の火付け役ともなりました。最近まで知られていなかったパネライですが、実は新興ブランドではありません。創立は1860年で、なんとロレックスより歴史が古いのです。
では、なぜ知られなかったのでしょうか?
それには、イタリア海軍が大きく関わっていたのです。イタリアのフィレンツェで小さな時計屋として出発したパネライですが、後にイタリア海軍の精密機器納入業者として軍用時計の製作を始めました。
海軍では夜間、真っ暗な海の上での作戦行動があるため、暗闇での視認性が重要になってきます。(暗い海の上で、室内灯をつければ、遠くからでも敵に簡単に発見されてしまいます)
1910年代、パネライは特殊蛍光体ラジオミールを開発し、まずコンパスや水深計などイタリア海軍の装備品にそれを使用して製造、納入しました。1918年、第一次世界大戦中、イタリア海軍は、ラジオミールを用いた水中コンパスと深度計を用いた特殊ダイバー部隊によって敵の戦艦を撃沈することに成功しています。その実績を買われて、第二次世界大戦で海軍潜水ミッション用のダイバー時計の製作を依頼されました。試行錯誤の末、真っ暗の海中でも非常に高い視認性を有する世界初のプロユース用の軍用ダイバー時計を1935年に生み出したのです。
パネライは視認性を向上させるために、文字盤のインデックス部分をくり貫き、その下にもう1枚プレートを張り付け、窪みにラジオミールを満たす方法を考案しました。これで暗黒の海中でも抜群の発光力が得られ、しかも長時間にわたって威力が衰えない、画期的な視認性能が獲得できたのです。
また、このとき使用されたムーブメントは、実はロレックスから提供を受けていました。パネライは、当事ロレックスのイタリア代理店を務めており、そうした関係から、ロレックスの協力が得られたのです。ただし、ケースはロレックスのオイスターケースではなく、パネライ独自のものだったようです。
第二次世界大戦中、イタリア海軍は地中海の制海権を確保するために、潜水攻撃隊グルッポ・ガンマを組織しました。特殊工作員は、2人1組となり、魚雷型の前半分が爆弾、後半分が推進装置という潜水艇にまたがり、水深10m~15mを潜って、敵の船舶に近づき、船底に爆弾を仕掛けました。この攻撃隊を一躍有名にしたのは、1941年のエジプトのアレキサンドリア港での戦艦、駆逐艦、タンカー等の主要艦船の一斉破壊工作でした。攻撃隊による作戦遂行には、ラジオミールウォッチが大きく貢献しました。そのあまりの戦果ぶりに、英国首相チャーチルに「イタリア軍があげた戦果と同等のものを得るには、何をするべきか、同じ戦法をとるにはどのような機器を用意すればよいのか、直ちに研究するべきだ」とまで言わしめた程でした。
1936年に、新開発の非放射性蛍光物質ルミノールを使用した、ルミノールマリーナが開発されました。このモデルは、現行のパネライのトレードマークともなっているレバーでリューズを固定するリューズプロテクターが採用されています。しかし、軍事機密扱いとなったことで、一般開放されることはなく、イタリア海軍以外には、一部の軍用に少量製作されたに過ぎませんでした。
パネライ初の民間腕時計が登場したのは、1993年になってからでした。軍用防水時計という、これまで日の目を見ることの多くなかったパネライでしたが、1995年に俳優シルベスター・スタローンが映画に使用したことから注目を集め、1997年には、リシュモングループ(カルティエ、ピアジュ、ヴァシュロン・コンスタンタン、IWCなどが参加する高級時計グループ、SIHH=ジュネーブサロンを開催する)に参加して、本格的な開発、生産体制へと移行しました。
いま最も注目されているブランドの1つに成長をとげています。