ブランド販売・買取 伊丹の質屋「マルニシ質店」
 

ルイヴィトン

ルイ・ヴィトン高価買取いたします!

 

使用に問題のない傷や汚れが有る、古い商品、箱や付属品が揃っていなくても大丈夫。
一度、是非当店へ査定にお持ち下さい。 最新モデル、定番人気モデル以外も新品・中古問わず地域密着で高価買取り頑張ります!!

 

買取実績
【2019年9月現在相場】
イエナPM
M42268
シエナPM
N41545
ブロワ
M51221
リュサク
M51221 ノワール
買取価格
Sランク
10~11万円
買取価格
Sランク
11~13万円
買取価格
Bランク
2~3.5万円
買取価格
Bランク
2~3.5万円
ネヴァーフルMM N41538
スピーディ30 M41526
ジッピー・ウォレット N41661
ポルトフォイユ・サラ M60531
買取価格
Sランク
10~11万円
買取価格
ABランク
3~4万円
買取価格
Sランク
6~6.7万円
買取価格
Sランク
5~5.8万円
※上記参考価格はあくまでも目安であり、買取額を保障するものではございません。相場は日々変動しています。直接、店頭で商品を拝見し、その場で査定額をご提示させていただきます。

 

高価買取ポイント
その1: 付属品も忘れずに

購入時の付属品を一緒にお持ち下さい。プラス査定に繋がる場合もございます。
保存袋・保存箱・保証書・ギャランティカード・カデナ・ストラップ・付属のポーチ等、是非揃えてお持ち下さい。

その2: お持ち込み前に簡単なお掃除を忘れずに!
素材や汚れの程度にもよりますが、掃除機で埃を取ったり、柔らかい布などで軽く拭くだけで落ちる汚れもあります。
バッグの内側ポケット等も忘れずに。少し綺麗にしてお持ちいただくだけで、査定時の第一印象も良くなりますので、査定額UPにも繋がりやすくなります。
その3: 思い立った時が売り時です!(流行も相場も日々変動しています)
保存状態が良ければ高額査定の付く商品も中にはありますが、それは一部の希少価値の高い商品に限られます。
多くの商品は時間が経過するにつれて人気がなくなり相場が下がっていきますので、使わなくなったものはできだけ早く売るようにしましょう。
 
―主なモデルの特徴-

■モノグラム
日本の家紋をヒントに、創業者ルイ・ヴィトン氏のイニシャル「LとV」に、星と花を組み合わせ、1896年に作り出されたパターンで、
1896年の誕生以来、ルイ・ヴィトンのシンボルともなっている。
1959年に登場し現在に至るモノグラムキャンバスは軽くて柔軟で耐久性があるだけでなく、
完全な防水性も備え、しかも表面に傷が極めてつきにくい性質をもっている。

■ダミエ
モノグラムより前の1888年に生まれたたダミエ・ライン。
日本の市松模様からインスピレーションを受けて作られた大人の雰囲気が漂うデザイン。
ダミエは数年間にわたりルイ・ヴィトンのトランク用に用いられた、市松模様のキャンバスを現在に蘇らせた伝統的なデザイン。
1996年に新たに発売されたこのダミエ・ラインは、シンプルながらも優美な雰囲気に包まれたおもむきが、多くの女性の心をとらえ、
限定発売の予定がその後も定番化された。トラベルバッグ、シティバッグ、財布・小物類など、洗練されたフェミニンなアイテムから
カジュアルでユニセックスなアイテムまで、幅広いラインナップ。

■ダミエ・アズール
ダミエ・ラインの発売から10年を経て登場した、フレッシュでフェミニンな新色、アズール(紺碧)。
アズールはルイ・ヴィトンが大切にしている旅のエスプリ、リヴィエラ海岸の魅力やリラックスしたサマーシーズンを表現している。
シティバッグからラゲージ、財布・小物類にいたるまでシックでフェミニンなコレクション。

■ヴェルニ
1998年にマーク・ジェイコブスが自身のデビュー・コレクションのショーのためにデザインして誕生したモノグラム・ヴェルニ。
ヴェルニという名前はフランス語で「エナメル」を意味し、フェミニンで個性的なカラーで彩られた
エナメル加工が施されたカーフスキンに、モノグラムを型押した素材は、独特の光沢感でゴージャスな印象。
まばゆい輝きを放ち、モノグラム・パターンが際立つ洗練された鮮やかなカラーバリエーションが特徴で、
ファッショナブルで活動的な女性のためのライン。

■マルチカラー
アーティスト村上 隆のデザインによってルイ・ヴィトンの伝統的なモノグラムキャンバスを33色の特殊なシルクスクリーン印刷で表現した、カラフルでモダン、アヴァンギャルドな魅力を備えたライン。カラーはブロン(白)とノワール(黒)の2色展開。シティバッグから財布・キーケースなどの小物類、ルイ・ヴィトンを象徴する定番アイテムからライン独自のモデルまで、フェミニンで個性的なアイテムが幅広く揃う。

■エピ
フランス語で「麦の穂」を意味するエピ。1920年代にルイ・ヴィトンで使われていたグレイン(型押し)のパターンをヒントに
1985年に新たに開発されたパターンで、風にたなびく麦の穂をイメージして作られた。

■タイガ
1993年、初のメンズラインとして登場したタイガ・ライン。「タイガ」はロシア語でシベリア地方の針葉樹林の意味。精巧な型押し(グレイン)が施された洗練された上質な牛革(カーフレザー)とビジネスユースを意識したデザイン。真の上質を求める男性に向けて、トラベルバッグやビジネスバッグ、財布・小物類が揃っている。大人の余裕を演出してくれるラインナップ。
 
-ルイ・ヴィトンの誕生-

「ルイ・ヴィトン」の歴史は古く、1854年に遡ります。


ブランドの創業者、ルイ・ヴィトンが生まれたのは、1821年
スイスと国境を接するフランス東部のフランシュ・コンテ地方、ジュラ山脈のアンシェイ村。
製材所を経営していた家庭の三男として生まれた。父の影響もあり、職人としてのキャリアをスタートさせます。
しかし14歳のとき、養母との関係が悪化し、ほとんどお金も持たず、家出してしまいました。そして彼が向かったのが、パリでした。

 


パリに辿り着いた少年ルイは、「荷造り用木箱製造兼荷造り職人(レイティエ・アンバルール)」のマレシャルの店で見習いとなり働き始めます。
ルイはすぐにこの仕事に熟練した腕を持つようになります。
当時のフランスでは貴族の間で「クリノン」と呼ばれる張鋼で裾を広げたスカートが流行しており、ドレスをいくつも持った貴族達が旅行する際にはこれらの衣装を収納する専門家が必要になっていました。そしてそれらを収納し、持ち運ぶための木箱が必要不可欠となり、木箱の製造と荷造りの専門家が登場し始めたのです。
ルイは抜きん出た才能を発揮し、フランス皇室からの注文を受け、フランス随一の「荷造り用木箱製造兼荷造り職人」にまで上り詰めます。
1854年、33歳にして独立。当時高級ブティックが建ち並んでいたパリ・カプシーヌ通りに店を構えました。この世界で初めての、旅行鞄の専門店こそ、後に世界一のブランドにまで発展する「ルイ・ヴィトン」誕生の瞬間でした。


時代の先を見ることにたけていた彼は、交通機関の発達に注目しました。
馬車旅行が主流だったこの時代でしたが、これからは船や機関車での移動が増えると読み、
それまでの馬車の後ろに積んだとき、雨が垂れるように丸みを帯びた「蓋の丸いトランク」から、
室内で積み上げることができる「平らなトランク」を考え出したのです。
素材も、革より軽い灰色で無地のコットンを使用。
更にそれに防水加工を施した「グリ・トリアノン・キャンバス」を開発しました。
当時の一般的なトランクに比べ、ルイ・ヴィトンのトランクは軽くて丈夫。更には、トレーや仕切りまで設置され、
使いやすさをとことん追求したものだったのです。こうして「ルイ・ヴィトンのトランク」が誕生すると、当時のセレブたちの間で
一躍評判になったのです。
そんな中、1857年に2代目当主、息子のジョルジュ・ヴィトンが誕生しました。

 
-躍進への幕開け-

ヴィトン社は需要に押されて規模を拡大しました。パリ市内の工房だけでは増え続ける注文に対応しきれなくなったため、1859年、近郊の町アニエール=シュル=セーヌに新しい工場を造ります。それから現在に至るまで、アニエールの工場では、堅牢さを誇る旅行トランク、ソフトラゲージやスペシャルオーダーなどの選りすぐれた製品が、経験豊かな職人によって生み出されています。
1867年、パリ万国博覧会に出展した際には銅メダルが授与され、世界的な評判を得ます。
1885年には、ロンドンのオックスフォード通りに、海外初のルイ・ヴィトンストアがオープン。初めての海外進出を果たし、大躍進を遂げました。そして、このころから、出回る模倣品との戦いの歴史の始まりとなりました。
トランクの上から布地を貼るというルイ・ヴィトンの技法は、容易に模倣品が出回ることとなりましたが、それにも押されることなく、彼のビジネスは成功を収めました。
私生活も衰えることはなく、1883年には3代目当主、孫のガストン・ヴィトンが誕生しました。
次々と模倣される新作に対して、1888年にジョルジュ・ヴィトン(2代目)がベージュと茶褐色のチェス盤に、ルイ・ヴィトンの銘が入った市松模様のデザイン、「ダミエ・ライン」を考案し、1889年のパリ世界博覧会でルイ・ヴィトン社は金賞を獲得して、世界的に評判を得るようになりましたが、模倣品が激しく出回っていた当時の波にのまれ、数年で姿をくらますことに。

1892年には、ハンドバッグの販売を開始し、全製品が掲載されたカタログを初めて出版しました。この年の、2月に初代ルイ・ヴィトンは71歳の生涯を閉じました。
 
-モノグラム・ラインの誕生-

1896年、言わずとしれたルイ・ヴィトンのアイコンラインモノグラムキャンバスが誕生しました。模倣品が多数出回っていた当時の中では大変画期的な幾何学模様でした。父の意思を次ぐ2代目のジョルジュ・ヴィトンによって考案されたモノグラム・ライン。これは創業者のルイ・ヴィトンのイニシャル(LとV)と花、星をモチーフにして生み出され、将来を見据えた先見的なデザインでもありました。

モノグラムキャンバスは当時流行していたジャポニズムの影響下にあったヨーロッパで、ジョルジュ・ヴィトンが日本の家紋などからインスピレーションを受けて生まれたと言われています。発売当時のモノグラム・モチーフは現在のようなプリントではなく、職人の手によりひとつひとつ手描きで施されていました。その執念とも言うべき職人の尽力により、ルイ・ヴィトンの模倣品は激減していったのです。
 
-日本上陸-

ルイ・ヴィトンが日本に上陸したのは、1978年。日本は世界再進出の第1号拠点となりました。東京と大阪にルイ・ヴィトンのショップがオープンされたのですが、この日本上陸には実は深い理由があります。
ルイ・ヴィトンに日本進出を決意させたその理由は、パリの店舗前にできた行列でした。
海外旅行ブームや、日本人デザイナーやモデルがパリで大活躍をしていた時代。彼らの活躍を取り上げたファッション誌の登場も手伝って、日本では一部のセレブの間でしか知られていなかったルイ・ヴィトンという世界の一流ブランドが、多くの日本人に知れ渡ることとなったのです。
そして、日本の数分の1で買える海外のルイ・ヴィトン店舗には、観光客のみならず、並行輸入業者が列をなす結果となったのです。

並行輸入業者は、大量に購入した商品を日本に持って帰って法外な値段で売りつけるということが横行していました。適正価格での販売を理念に掲げるルイ・ヴィトンとしては看過できない事態となっていたため、日本支店を作るということでこの価格の高騰に対抗したのです。フランスにより近い値段で、一流のサービスとこだわりを提供したのです。
 
-巨大一流ブランドへの拡大-

1987年には、モエ・へネシーとルイ・ヴィトンの合併により、LVMH モエヘネシー・ルイ ヴィトンが誕生。セリーヌ、ベルルッティ、クリスチャン・ディオール、エミリオ・プッチ、フェンディなど率いる、世界最大のブランド帝国を築き上げています。その後、クリスチャン・ディオール率いるベルナール・アルノーがLVMHの株を取得し、議長(チェアマン)に就任。こうしてアルノーは一大ファッション帝国を築き上げることになりました。
現在、世界最大のファッション業界大手複合企業体に成長し、ファッション・化粧品からお酒まで何十ものブランドを傘下に収めています。